永平寺と東尋坊
2014年 11月 14日

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自分の成長の為に
2012年 05月 20日
だから、無精子症とわかった時のショックは計り知れないものでした。
しかも、周囲からは、幸せにはなれないと断言されたり、メディアでは離婚の理由になるとまで言われていて、そういう時代でした。
平凡に妻と子供がいて慎ましやかに生きていければ、それでいいと思っていた私には、人間でない、生きる資格がない、結婚する資格がない、等のレッテルを貼られたような感じでした。
種無しと呼ばれる人もいて、デラウェアさえ敬遠したこともありました。10年ぐらい暗く救いようのない暮らしをしていました。何かを恨んで生きていけるなら、それもありかと思っていました。
でも、あきらめられなかったのです。子育てに。施設で探してでも子育てしたかったんです。
結婚は、子供がダメということだけで断られました。お見合いは10回以上しました。でも、子供の件になり、話をして、それでもいいという人はいませんでした。
でも、親友には、それでも諦めなかったからだよね、って言われたんだけど、そうなんです。諦めなかったのです。
長い時間がかかったんだけど、父親には子供を会わせてあげられなかったけども、夢を叶えることができたのです。
もっとも、私が成長したかどうかは、わかりませんけどね。

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KS宣告から1年半経った頃の日記
2011年 09月 09日
=== 2.Apr.1988
久しぶりに、このノートを読み直し書きたくなった。
きのう、1ヶ月ぶりに東京へ戻る。中島みゆきの歌をききながら、散乱した部屋の中で書いている。なつかしさ、くやしさに浸っている。
出張中に読んだ雑誌の中で、そのこと<(KSによる)無精子症>ひとつが離婚の正当な理由になると知って、もう生きる事が無意味なように考える。
病院へ行って検査してもらっても、絶対いい結果なんて出ない。
こんな気持ちで仕事なんかできない。出張中、何度も<自殺のために>薬を飲もうか考えた。
俺だってこれで終わりたくないもんね。
体がだるくて、でもみんなもそうだからそうなはずだから、一人だけ甘えてもいられないし、人が少ないから抜けるわけにもいかず、やはり今度も生きのびてしまった。自分のペースを未だにもてずにいるため、周囲の人に合わせるようにいつのまにかなってしまい、自分の仕事ができずにいる。その時だけ仕事をして怒られて、で、自分でも原因がわかっているもんだから、怒られこと予想できていて、全然効かないんです。またやってしまう。
やる気がおきない。全然。生きる気力さえない。決断力のある人間なら、あっさり死んでいるかもしれない。ただ、なんとなく食べて生きてます。
今年に入って、体がだるい性もあるけれど、仕事なんかどうでもよくて、でも、どうでもいいままじゃぁ、やっぱりすまないし。
とりのこされていく。
あんなこと<週刊誌の記事>を平気で書く人がいて、世の中もそうなっていて、誰が悪いんでもなく、そのことで傷つく人が大勢いたりする。そんなもんかなぁ。
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25歳でKSを宣告され、その1年半後。26歳です。
周囲では、同期が仕事を覚えてどんどん自分を追い越していくような中で、まだまだ、絶望の淵を歩いている頃の日記です。
体のだるさと戦いながら、忙しい仕事の合間で、死ぬ事しか考えていない自分の、長い長い暗い状態のものです。

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時代 ~中島 みゆき~
2011年 01月 16日
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ず~っと昔に、この曲をカラオケとかで歌っていたときがありました。
今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて
もう二度と笑顔には なれそうもないけど
そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
だから 今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう
どうにもならなくて、まさにこんなときに、この歌と出会って、「今日の風に」吹かれて、流されていた時代がありました。
いつか、本当に、笑って「そんな時代もあったね」って言える日が来るのを信じて。。。で、その日は来たのです。10年近く経った頃に。そうして、前向きに考えることができるようになった後、今の家内と出会ったんです。
今は、「そんな時代もあったね」って笑って話すこともなくなりました。忘れていて、○○歳ぐらいのとき何やっていたっけ、って思ったときに、ふと、思い出すことはあります。
今は、もうそんな感じですね。

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語れない時代
2010年 11月 24日

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