どうして当時、私はさまよっていたんだろう。
高校卒業(18歳)時の寄せ書きに、10年後の自分は、まだ「夢も希望もなく、たださまよっている」と書いた。
確かに、10年後、KSがわかった後だから「夢も希望もなく、たださまよっている」んだけどね。
そして、その後の10年後、結婚はしているけどね、体力的なものがあるから夢は抱けていない。
さらに10年後、50歳を前にしてKSのなんたるかを知っているからやはり「夢も希望もない」。
夢を抱けず、だから希望もない。
KSがわかった後なら、その心境は理解できるけれど、やはりなぜ、このアルバムを買った当時「夢も希望もなかった」んだろうか。
もし、もしも、改めて考えてみるならば。。。
計画ができない、自分だということ。
就活していた当時、進学と就職と、周囲が自分の考えをしっかりと持っている中で、私は、何も決められていなかった。それどころか、高校を3年間も過ごしていて、ある教科(数学)だけは高得点を叩き出しているにも関わらず、持っていた疑問、それは「勉強の仕方がわからない」だった。
そして、大学も適当に過ごして、社会人になって、この勉強の仕方がわからない、で苦しむことになる。
この時に、KSのなんたるかをもし知っていたら、きっと、この時点で人生を終えていただろうけれど。
そして、今も、この先のことを考えることができず、つまりは計画を立てることができずに、結果「夢も希望もなく、たださまよっている」ことになるんだろうな、と思う。
家族には申し訳ないとは思うけど。
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