今までとは違う感情
2013年 01月 16日
そうなると、医療技術は生きる中での病気を治したりして、人の生活に多くの時間的安らぎを作る為に必要なことなのかなぁ。
でも、死からは免れないから、その時には苦痛で無駄な延命措置は止めて、死出のために時間的な安らぎを与えることも、一つの医療なのかも知れない。
そんなことを、ここ何日か考えていて、自分が死んだ時に、何が出来るのかとか。
こんなボロボロな体からなんか、提供できる臓器はないし。せいぜい「これがKSの体だ」と解剖に使ってもらえる程度かな、とか。
でも、出生時に染色体検査をするらしい。
そうしたら、私のような染色体異常は見つかるだろうから、多くの場合、この世に出てくること自体が難しくなる。生きて生まれてきて、ずっと死ぬまで悩むよりは、誕生させない方がいい、という親心なのかもしれないが、きっと、当事者の胎児としたら、そんなの余計なお世話だ、というだろうなぁ。ますますあの世で苦しむ魂が増えるだけかもしれない。
しかも、生まれてくる可能性が少ない人たちを研究する医師も減るだろう。そうして、私のような人は忘れ去られて、取り残されて、ますますマイノリティになっていく。
そんなことを考えていたら、涙が溢れてきた。
これは、何の涙か。
意外に苦しさでも、寂しさでも、悲しさでも、痛みでもない、今までの感情とは違うものだった。
家内が言った、お母さんの涙なんではないか。
あー、そうかもしれない。
親の涙と、生まれ出れなかった胎児の涙かも。
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